2010年03月

2010年03月11日

お産回顧録

3月に入り、すっかり春めいてきました。
出産予定日の頃はまだ冬の季節だったことを思うと、お産をしたのが遠い過去の
ことのようです。

トラちゃんは新生児の雰囲気が徐々に消え寂しい気もする反面、日増しにお腹
やほっぺがぷっくりし、知恵がついていく姿は家族に感動を与えてくれます。
結婚出来るかどうかも怪しかった独身時代より「人間育ててこそ人間」と信じ、
子供だけは欲しいと密かに思っていた私でしたが、彼女が来てくれたおかげで
夢は現実となり、人生の次のステージが開幕したような気がします。

ではさっそくお産レポート・・・の前に。
お産の苦しみはすぐに忘れてしまうと言うけれど、私は今のところ当分忘れられ
そうになく、ありのままを綴ると出産未経験の方を怯えさせてしまうかも、という
不安がありました。
しかし私の陣痛65時間というのはレアケースであり(私がお世話になった病院は
”母体に備わった出産能力を生かす”を基本理念とし、促進剤等をぎりぎりまで
使用しない方針のため長いお産となったのではと思われます。)陣痛がもう少し
短時間だったらもっと上手にお産が出来たろうと思えること、またピーク時でも
痛みの一つ一つは痛みに弱い私にも決して耐えがたいものではなかったことを
前置きして、なるべく淡々と記録形式でお伝えしたいと思います。


<出産予定日前後>
予定日が近づき実家に戻ると、最初の数日はトラちゃん用の編み物やぬいぐるみ
を作って過ごすが、熱中してやるとじきに仕上がってしまい暇を持て余す。
予定日を過ぎると育児休業中のアラフォーママ達を誘ってのおしゃべり会や、
運動を兼ねてスーパーへ歩いて出かけたり、悪天候の日は家の階段を昇り降り
したりとなるべくゴロゴロしないようにしていたが、頻繁にお腹の張りを感じるよう
になると不安で外出が出来なくなる。

<出産予定日+5日>
夕食後に”おしるし”らしきものを発見。「いよいよかっ!?」と緊張しつつ入院用
の荷物をいつでも持ち出せるように整える。おしるしが見られた後すぐに陣痛が
来るものでもないと聞いていたのでとりあえず就寝。しかし夜中に腹部の鈍痛で
目が覚める。
「こんなに早く陣痛が?」と思うも何度もトイレに行きたくなるため、陣痛による
緩下作用なのか、前日に服用した便秘薬による腹痛なのかわからず半信半疑。
そのまま寝ていると1時間後に再び同じ痛みがやってくる。
その後間もなく痛みの間隔は30分、15分と縮まり陣痛だと確信。しかし10分間隔の
陣痛が1時間以上続くのを確認してから病院に連絡をしてほしいと言われていたし、
家族を起こすのはしのびないと思い、陣痛の発生時刻を携帯電話に記録しながら
朝までうたた寝。

<出産予定日+6日>
陣痛は夜明け前に10分間隔になっていたがそれ以上は縮まらず、痛みも重めの
生理痛程度のため、病院が開くまで待つことに。もしもの長丁場のため、陣痛の
合間にシャワーを済ませる。
休日だった夫に連絡をするとすぐに実家へやってきたので、夫に陣痛のタイム
キーパーを一任。この時点では私も夫もその日のうちに出産だろうと思い込んで
おり、「お父さんの休日を選んで産まれてきてくれるトラちゃんは何て良い子なの
だろう」と語り合っていた。

昼頃に陣痛が8〜9分間隔になったため病院へ連絡し受診。若手美人女性医師
いわく「子宮口が約2cmしか開いてないので、陣痛が5分間隔になったら再度来て
ください。」とのこと。母と夫を従え入院の準備もばっちりしてきたのに、あっけなく
家へ追い返される

帰宅後、痛みに耐えながらひたすら5分間隔になるのを待つ。
夜8時頃、ようやく5分間隔となり再度病院へ連絡。電話に出た助産師さんは「本当
にもう耐えられませんか?あまり早く来てもらっても・・・」とやや迷惑そうなので
気を遣い更に1時間待ってから病院へ向かう。

救急窓口へ行くと、陣痛で悶え苦しんでるっちゅーに住所やら名前やらを書類
に記入せよという。内心毒づきながら記入をしていると先ほどの助産師さんが現れ、
車椅子に乗り晴れて陣痛室へ。
すぐに美人先生の診察があり(偶然居合わせたのか呼び出されたのか不明)子宮口
は約5cmとのこと。
その後NSTでトラちゃんの心拍を監視しながら5分間隔の陣痛に耐え一夜を明かす。

<出産予定日+7日>
疲労と眠気に襲われながら朝を迎えると、夜中に一旦自宅に戻った母が来る。
その後また美人先生の診察があり(本当に激務ご苦労さまです)子宮口はまだ6cm
なので体力を回復するために少し眠りましょうとのこと。
睡眠薬(導入剤?)らしき注射を打たれるとすぐに深い眠りに落ち、陣痛のたびに
意識は戻るが瞼はなぜか開かず、という状態で3時間ほど眠る。

目が覚めると少し体力が回復していることを実感。しかし今日産めなければまた
昨夜のような悪夢の夜をまた過ごすのかと思いゾッとする。
陣痛を促進するには病院内を歩けばいいらしいが、この頃には起き上がるどころ
か体勢を変えるのも辛くとても無理。
夜遅く夫が仕事帰りにやってくる。しかし何をしてくれるでもなく「役立たず!」と
内心イラつく。(もっとも何かされたところで「触らないで!」と叫んだかも。)
夫と母の会話やテレビの音にさえナーバスになり、理性は完全に失っていた。

深夜、様子を見に来た優しそうな助産師さんに弱音を吐いてしまい「あと何時間
ほど我慢すればいいんでしょう? 私もう十分に頑張ったと思うので、お願いです
から無痛分娩か帝王切開に変更してください。」と泣きながら懇願。
助産師さんは「そうよね、feeさんすごく頑張ってるわ。私、何もしてあげられなくて
ごめんね・・・でも陣痛は赤ちゃんに会うために必要な痛みだからもう少し頑張り
ましょう。明日の朝、私からも先生に無痛か帝王切開をってお願いしてみますね。」
と涙ぐみながら励ましてくれ、少し希望が湧く。しかしトラちゃんのことを考える
精神的余裕はなし。

<出産予定日+8日>
再び夜が明け、前日と同様の一日が始まる。
美人先生は昨夜の助産師さんから話を聞いていたらしく「無痛分娩か帝王切開に
とのことですけど、あと一息ですからこのまま頑張りましょう。」の一点張り。
そこへ陣痛が襲い、床にへたりこんだ私は「どうかお願いします〜もうこれ以上
耐えられません」と土下座状態。今の自分はまるで駄々をこねる子供のようだと
思ったが身も心も言うことをきかない。
2人の助産師さんに両脇を抱えられ立ち上がると、居合わせた早口先生(37週の
診察時の早口の先生)が見かねて「下から産むのが一番なんだよ。帝王切開は
もっと痛いんだから。大丈夫大丈夫!妊娠したんだからちゃんと産めるよ。」と声を
かけてくれる。早口先生は他人事のように言うけど、こちらは思いっきり深刻なので
励ましにもならず。
願いを聞き届けてもらうという希望だけを頼りに一夜を乗り越えた私は、先生方に
相手にされずガックリ肩を落とすのだった。
その後、早口先生と何か相談をした美人先生が「疲れているようですから昨日と
同じ注射で少し休みましょう。目が覚めたら促進剤を点滴しますね。」と提案。
私は「もう産む体力なんて残ってないよ〜」と思うも、とりあえず眠れるという
エサにつられ、後のことはどうにでもなれとばかりに従う。

睡眠から目が覚めると助産師さんがやってきて促進剤の点滴を開始。
「促進剤による陣痛は相当痛いらしいよ。」と母に言うと「陣痛の長さは個人差が
あるけど痛みそのものは皆同じで、その痛みが来ないといきめないし産めないん
だよ。」と言われる。(この時は意味不明だったが後で納得。)
しばらくすると今までの陣痛よりかなり強度なやつが5分間隔を切ってやってくる。
助産師さんに「いきみたい感じになったら呼んでね」と言われるが最初はどれが
その感じかわからない。
少しずつ点滴の量が増やされると声を出さずにはいられなくなり、陣痛の波が来る
たび遠吠えのように唸る。「もしやこれがいきみたい感じ?」と思い助産師さんを
呼ぶと一度診察しましょうとのこと。
起きあがるとベッドのシーツが濡れており破水だろうと言われる。

診察は美人先生と早口先生。美人先生が「膜はあるので上のほうで破水したの
かもしれません。」と言うと早口先生、またもや軽妙な早口で「破っちゃっていいよ。
僕がやるよ。」と返答。陣痛の痛みで何をされたかわけがわからないうちに卵膜が
破られ羊水が流れるのを感じた。
陣痛室に戻ると破水のため陣痛は更に進み、いきみたい感じがハッキリしてくる。
ふとトラちゃんは大丈夫なのだろうかと気になるが、お腹に話しかける余裕はなく、
規則的に聞こえるNSTの心音にトラちゃんの生命力を信じる。

かれこれ促進剤投入から約4時間経過、陣痛はほとんど絶え間ないように思える。
意識が朦朧とする中、この難産を克明にブログに投稿するのってどうよとか、昔、
落合信子さんが42歳で初産と話題になった時に「私は命がけで子供を産んだ」と
彼女が言った言葉が今ならよく理解できる・・などと他愛もないことが頭に浮かぶ。
やがて余計なことは一切考えられなくなった頃、助産師さんの診察があり「子宮口
がほぼ10cmになったので分娩室へ行きましょう」とのこと!!
いざ分娩となると不安はあったが、それよりも「やっと陣痛から解放される!」と
いう思いのほうが強く、不思議と頑張れそうな気がした。

いよいよ分娩室へ。
隣の陣痛室にいた女性は分娩に1時間かかったそうで、彼女もかなり長い時間を
陣痛室で耐えていたので、私も何とか1時間で産みたいと密かに目標を立てる。
分娩室には私を励ましてくれた助産師さん、美人先生、早口先生、そして何と
イケメン先生もいるではないか!外来診療が終わった直後だったからなのか、
私の年齢が心配だから用心してのことなのか・・・?ともかく医師が3人体制での
分娩開始となる。

早口先生はその日多忙だったらしく「今日はきっとこういう日なんだな、でも僕、
頑張っちゃうもんね。」などと独り言をつぶやいている。早口先生、初対面では
厳しそうな医師だと思ったが、実はお茶目な人だった。
美人先生は早口先生に何とフォローすればいいやらといった顔で苦笑い。
イケメン先生は陣痛がやってくるたび「この波は逃して・・・はい次そこだっ!」
といきむタイミングを教えてくれ、陣痛を感じているのは私なのにどうして彼は
わかるんだろう?と感心。
助産師さんは「順調ですよ」と励ましてくれるが、私はいくらいきんでもお産が
進んでいるという実感は得られず。
イケメン先生、今度は「お腹を押しますから少し我慢してください。」と言い、私の
いきみに合わせて両手でお腹を圧迫。これが噂のクリステレルか。でも噂に聞く
ほど痛くはない。というか陣痛のせいで他の痛みは感じない。

何度かいきんだ後、美人先生が耳元で「feeさん、分娩の進み具合が少し遅い
ようなので・・・」と話しかける。「結局帝王切開か。せっかく今まで頑張ったのに
と一瞬頭を過ぎったが、美人先生の話の続きは「吸引を行いますね。」だった。
私は陣痛から解放されるなら何でもやっちゃってくださいという気持ちで即了承。
イケメン先生は注射を打ち、麻酔が完全に効かないうちに切開を開始。痛かった
はずだがこれも陣痛の痛みにかき消された。
準備が整いイケメン先生は「せえのでいきますよ」と言い、私がいきむと同時に
お腹を押し、早口先生が器具で吸引。「あっ!!」と思った瞬間、トラちゃんの
甲高い産声が響き渡った
グッタリする私に助産師さんがトラちゃんを見せにきてくれる。私にはあまり
似ておらず、もちろん初めて見るトラちゃんではあったが、一目見ただけで
なぜか「この子に間違いございません」という気持ちで一杯になってしまった。
分娩にかかった時間は目標どおり約1時間だった。

その後胎盤が出て(感覚は無し)イケメン先生が縫合。胎盤が出ないと辛い処置
があると聞いていたのでホッとする。思えばイケメン先生には流産手術、羊水検査、
そして分娩と随分お世話になった。
トラちゃんが体重を計られている時、夫がバタバタと夫が入室してくる。ほんの10分
遅れで夫は誕生の瞬間を逃してしまった。(陣痛室でもう少し粘れば立ち会いが
できたのにと少し後悔)続けて母も入室しトラちゃんにご対面。3日がかりの陣痛
につきあってくれた母はさぞ疲れたことだろう。

その後カンガルーケアということで、トラちゃんを胸に抱きしばし休息。生まれて
間もないというのにお目目パッチリ、焦点も合ってまっすぐにこちらを見ている。
夫と私とトラちゃんの3人でしみじみ感動を味わっていると、早口先生が間仕切り
カーテンからひょっこり顔だけ突き出し「どう?かわいいでしょ。よかったね〜。
お父さん似だよね。」とおどける。本当にお茶目な人だ。
間もなく夫の両親もやってきて孫と対面。夫の両親にもこの3日間、随分ヤキモキ
させてしまった。
病室に戻った後は、翌朝から授乳があるから早く寝ようと試みるが、麻酔が切れ
傷口が痛み出しなかなか寝付けず。興奮していたせいもあったかも。

翌朝、体のあちこちが痛むのと睡眠不足でよろめきながら授乳室へ。トラちゃん
の顔を見ても昨夜までお腹に入っていたとは信じられず、また自分の子供という
実感も湧かない。しかし並んでいる赤ちゃん達の中で最もかわいい顔をしている
のはどう見てもトラちゃんで、既に親バカと化した私なのであった。


・・・というわけで、おかげさまで何とか無事母になることができました。

あらためて振り返ると、やはり年齢と妊娠後の運動不足は見事にお産に影響した
ように思います。
子宮も産道も筋肉ゆえ、安定期から臨月にかけてもっと体を動かし柔軟にしておく
べきでした。(「エチカの鏡」でも薪割りを推奨する産院が紹介されていました。)
もっとも、難産だったとは言え普通分娩が出来たのは私の年齢にしては幸いで、
妊娠前のジム通いが多少は役立ったのかもしれません。

ともあれ、永遠に終わらないかに思えた陣痛にはこのとおり、ちゃんと終わりが
あったし、分娩そのものは自分が頑張れる分、陣痛の忍耐に比べれば楽勝です。
これから妊娠・出産に臨まれる方には、”案ずるより産むが易し”ですよとお伝え
しておきます。


数日前には助産師さんによる新生児訪問があり「自宅に戻ると家事にとらわれて
授乳のペースが乱れ母乳の出が悪くなりやすいから、もう少し授乳量が安定する
まで実家にお世話になったら?」とのこと。
現在の”ミルク寄りの混合”状態を何とか”母乳寄りの混合”に持っていきたい私は
そのアドバイスに従い実家滞在を延長することにしたため、トラちゃんの扱い方を
見かねつい口や手が出る母親と喧嘩をしながらの生活がもうしばらく続きそうです



長い記事におつきあいいただきありがとうございました。

fee_dragee at 11:42|PermalinkComments(26)産活(一人目) | 育活